『妻、壊れる…。』
仕事と家事育児の両立 負担は妻へ
妻は『仕事と育児の両立が大変だ』とよく言っていました。
当たり前です。僕だって仕事だけで十分大変なんですから…。
でも妻は僕の仕事に理解があったので、あまり僕を責めるような事は言いませんでした。
そんな妻の様子が少しづつおかしくなっていきます。
保育園に入園させると、息子はよく熱を出しました。
沢山のお友達と一緒にいると、ありとあらゆる病気にかかります。
ウィルス感染はお互い様です。しかたがありません。
でも、男の子は本当によく病気にかかりますね。
保育園で子供が熱を出したら、妻の携帯に連絡が行きます。
当時は『病児保育』がありませんでした。
園から連絡を受けて、妻から僕に連絡があります。
そして『保育園に代わりに迎えに行けないか?』と聞きます。
妻も僕が迎えに行けないのは理解しています。
でも、妻にも抜けられない仕事があり、ダメ元で連絡して来るのです。
『ごめん、無理だよ…。』
『うん、わかった。私が行くよ。仕事がんばってね。』
妻の会社も、事情はある程度理解しているので、妻が『保育園に迎えに行かなきゃいけない』と言えば、渋々ですが了承します。
仕事に行く前に、息子の様子がおかしいことに気がつき、熱を計ることがよくありました。
ピピッと音が鳴り体温計を確認します。
数字が高いと泣きそうな気持ちになります。
妻はもっと泣きそうだったに違いありません。
でも一番かわいそうなのは息子ですね。
僕の場合、出社は遅くてもかまわなかったので、午前中は使えます。
そんな時は僕が息子を病院に連れて行き、妻は午前中だけ出社して、午後に僕と入れ替わります。
妻も仕事を抱えてるのに、午後の仕事を休まなければいけません。
上司からは、また文句を言われます。
そして妻は仕事は持ち帰ります。
息子の看病をしながら、家で仕事を片付けます。
妻は笑わなくなりました。
そんな妻を責めてしまう
僕は家庭を守るプレッシャーと戦っていました。
『僕が働かないと家庭を守れない。』
という思いがありました。
ただ、東京で、都心で、生活していく為には妻の収入も必要でした。
妻の仕事も、大切です。
しかし、僕の仕事は圧倒的に忙しく、家に帰れないこともありました。
仕事と家事と育児をしている妻よりも、自分の方が忙しいという気持ちがありました。
家の中は常に散らかっていました。
仕事の効率が悪いんじゃないか?
家事の無駄が多いんじゃないか?
そう言って妻を責めてしまったこともあります。
妻が仕事の愚痴を言うことがありました。
僕はよかれと思い、改善点を提案します。
『これがこうなら、こうしたら改善できるんじゃない?』
『ここをこうすれば、もっと良くなるよ!』
妻はそんなことはどうでも良かったんだと思います。
ただ、話を聞いて欲しかったのでしょう。
女性って『共感』を求めるんですよね?
当時の僕はそのことが良く理解出来ていませんでした。
でも常に『自分がなんとかしなければ!』と感じていました。
自分の仕事を減らす
僕が勤めていたのは小さな会社でしたが、業界では名の通った会社でした。そんな会社で、僕はそれなりの地位にいました。
業界歴が長く色々なことが出来て重宝がられていたので、社内での発言権もありました。
本来は現場に居たかったのですが、新しい部署の新設を提言し、その部署の担当者になり、現場の仕事は後輩に譲る事にしました。
僕は泣く泣く現場を離れました。
流石に、定時には帰れませんでしたが、以前よりは時間が出来て、土日や祭日は、ほぼ休む事ができるようになりました。
妻のストレスを解消するために、無理矢理、旅行に行ったりもしました。家事や育児の分担も増やしました。
でも状況はそれほど変わりませんでした。
いくら僕が休日に休めても、平日に子供が病気になったら迎えに行くのは結局、妻です。
今の社会情勢からは考えられないかも知れませんが、当時、男性社員が息子の看病の為に仕事を休むのは理解されませんでした。
結局、妻が仕事を休みます。
何も変わっていません…。
笑わない妻の顔は、より険しくなっていきました。
常に眉間にしわが寄っていて、僕にはその顔は『般若のお面』に見えました。
仕事で疲れて帰っても、家には『般若のお面』をつけた妻がいます。
帰っても癒やされず、帰るのがいやになり、わざと公園で時間をつぶしたりもしました。
妻とは喧嘩が絶えなくなりました…。
『うつ』なのかな…。
喧嘩をすると、妻は奇声をあげることがありました。
頭をかきむしり、苦しそうに息をします。
僕はあっけにとられて、その様子を眺めています。
そんな事が何度かあり、僕は妻に精神科の受診を勧めました。
心療内科だったかな?
診断ははっきりしないものでした。
『うつ病の可能性が高いって…。』
そう言われただけでした。
覚えていませんが、それほど強くない薬をもらって帰ってきました。
しばらく通院しましたが、状況はあまり変わりませんでした。
結局、妻の職場での状況が変わらなければ、何も変わらないのです。
短大を卒業してすぐに仕事を始めた妻は僕より社会人としてのキャリアが長く、仕事も充実しているようでした。
実力もあり、社内外で数々の賞も受賞していました。
妻にとって仕事は生きがいでした。
代わりに、僕は仕事上の夢をあきらめかけていました。
業界の未来を悲観してもいました。
自分の実力の限界も見えていました。
そして僕は転職を考えるようになりました。
